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『ミナを着て旅に出よう』

皆川明さんが1995年にミナを立ち上げるまでの経緯と未来を語ったエッセー。

中学から高校までは陸上に没頭する。中学の時の陸上部の顧問の先生がすごい人である。高校での陸上生活を視野にいれた長期戦の練習メニューを組んでくれた。日誌でもきめ細かいフィードバックを返してくれる。皆川さんは体格で恵まれていたわけではなく、エース級の選手でもなかった。

強い人を強くするのは簡単だけど、強くない人たちが続けていけるように、精神的に支えていくのは先生も相当忍耐が必要なはずです。陸上は全てが数字で如実に出るからすごくシビアな競技ですよね。それを一人の顧問の先生が、速い人から遅い人まで全員に同じやる気と好奇心を持ち続けさせるっていうのは、並大抵の指導力じゃできないですよね。

服飾の専門学校に入る前に、美大を志していた時期があった。受験勉強のアトリエにいったときに、美大の志望大学別にデッサン指導をおこなっていたという。この状況をみたときに、美大にいくことは意味がないと悟る。

服飾の専門学校のとき、ファンションショーに多くの作品を出したけど一枚も縫わなかったというエピソードもおもしろい。「日本の学校は、デザイン画を描いてパターンを引いて、自分で縫って、はじめて、“デザインをした”っていうんです。日本はそういうことに縛られている。これでは洋裁は学べても、クリエイションの部分が学べなくなってしまう。」。

たぶん今でもそうですが、当時の学校全体の空気として、コンテストに入賞して、有名ブランドに入って服を作るのが良しとされていたので、学生はみんなそういうエリートコースに憧れている風潮はありました。

服飾の専門学校を卒業した後、3人くらいの小さなアパレル会社でパタンナーとして働く。その会社は生地からオリジナルでつくり、ギャラリー・スペースを借りて売るという活動をしていた。そこで3年ほど働き27歳のときに独立する。30歳までに軌道に乗れればという計画だった。ブランド自体も100年という期間で計画をたて、自分は初代のデザイナーとして最初の30年を担当していると語る。

自分の記憶のどこかに、小さい頃、砂の団子がなかなかうまく作れなかったんだけど、ずっとやっているうちにいつの間にかできるようになったっていう喜びが残っているんです。途中で諦めずに続けていれば、いつかはきっとできるようになると思っている。僕は短距離走は本当に遅いんだけれど、長距離走なら同じペースでいくらでも長く走れる。

いわゆるアパレル業界の商慣習とは無縁のやり方をとっている。
アパレル業界は半年ごとに、流行を決めてどのブランドも似たような服を作り、最後はセールで在庫をさばく。

皆川さんの服作りは流行とは関係なく、長く着られる服を作っている。
生地をオリジナルで作り、50年後も古くならないデザインを理想とする。直営店ではセールをおこなわない。昔、つくった生地をリバイバルして作ることもある。

本書は皆川さんの主流の価値観、固定概念から距離を置いて考えていくラジカルな思考と実践にふれることができる。

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制作ディレクター。フリーランス。
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