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『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』

奈良の興福寺の僧侶だった経覚と尋尊の日記である『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』をメインに応仁の乱を解説した新書である。新書でありながら、膨大な史料と先行研究を基に書かれた濃厚な歴史書になっている。表面的に事実関係を羅列したのではなく、将軍、守護、民衆の気持ちを描いている。

経覚と尋尊の性格が対照的である。経覚は尋尊の前任者である。経覚は柔軟な判断をもっているが、場当たり的でその場しのぎな判断をする。一方、尋尊は冷静で長期的な視点をもっている。判断をくだす場合も、慎重に過去の似た事例を調べた上で決定している。

経覚が、興福寺の別当職についたとき、経覚の『経覚私要鈔』の閲覧が許されず、独学で興福寺の別当職を担当するしかなかった。経覚が亡くなったあとに、尋尊は『経覚私要鈔』を取り寄せている。尋尊の好奇心の強さを表すエピソードである。

本書では多くの人物が登場するが、そのなかでも一番興味を持ったのが古市胤栄である。
古市胤栄は風呂釜の修理代金をまかなうために、小屋を仮設して入場料をとり、3000人もの男女を躍らせたという。茶屋も併設している。また古市胤栄が企画した「林間」はお風呂、茶湯、食事、酒、が伴った豪華な遊びだった。

著者の呉座 勇一さんはこうまとめている。

古市胤栄はわずか九歳の時に盆風流で囃子手を見事に務めるなど、根っからの遊び人であった。有料盆踊りも金儲け以上に、自分が楽しみたかったのだろう。そもそも風呂釜じたいが娯楽施設であり、応仁の乱の最中に大金を投じて風呂釜を修理するという発想は、普通の人間には出てこない。(中略)

戦乱の世でなければ、古市胤栄は文化人として名を馳せたであろう。時代の巡り合わせが悪かったと言うほかない。

応仁の乱の最大の特徴は戦争の長期化である。
長期化した原因に、技術面からは攻撃道具も備えた大規模な櫓(やぐら)の登場をあげている。
人事面では東軍の細川勝元と西軍の山名宗全が多くの大名を引き込んでしまい、対立軸が不明確になり、利害関係が複雑になってしまったことをあげている。

各人物の動きは複雑である。戦争に負けたあとに逃げて隠居するが、また機会をみて復帰するという繰り返しで、みんななかなかしぶとい。そこに朝廷、幕府、各武将のお家騒動、僧侶の荘園事情が絡んでいく。応仁の乱は細川勝元と山名宗全が和解したあとも、ずるずる長期化して収まらない。いろいろ複雑に利害関係が絡まっていく。

乱前に全国の守護が京都に住み、そこで文化的な交流がおこなわれ、乱後は公家が武士を頼り、全国に散らばっていく。山口のような小京都が全国に伝播することになる。

守護だけでなく、僧侶、官僚、民衆もしたたかでしぶとい。
筆者のような歴史初心者にとって、本書は濃厚すぎて、読了するまでは簡単ではなかった。それでもこの時代の人々の生態を知りたい一心で読み進めていった。

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